坂本夏子 個展
迷いの尺度 ― シグナルたちの星屑に輪郭をさがして
2019年6月 8日(土)~ 7月6日(土)
火・水・木・土 11:00~18:00、金 11:00~20:00
日月祝休廊
*同時開催・高山陽介個展
オープニングレセプション 2019年6月8日(土)18:00~20:00
坂本夏子 (さかもと・なつこ b.1983 ) は、2012年に愛知県立芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。 「絵画の庭―ゼロ年代日本の地平から」 (2010 年、国立国際美術館、大阪)、 「魔術/美術―幻視の技術と内なる異界」 (2012 年、愛知県美術館、愛知)、 「であ、しゅとぅるむ」 (2013 年、名古屋市民ギャラリー矢田、愛知)など多数のグループ展に参加するほか、個展「ARKO 2013 坂本夏子」 (2013 年、大原美術館、岡山) では、 滞在制作した大作を発表するなど、 今後の益々の活躍が期待される作家です。2009年に絹谷幸二奨励賞、2010年にVOCA奨励賞を受賞。 近年では、アーティスト・コミュニティ 「パープルーム」の展覧会にも参加しています。
坂本は、一度描いたところには戻らず、完成形を繋げていく手法で、自動生成される細胞のように、画面の端から一筆ごとに絵の具を置いて描くことで歪んだ空間を生み出します。また、自身の分身のような女性像を登場させ、鑑賞者が絵画に入り込むような装置を内包した独特の迷宮的な絵画で注目を集めました。
2012年以降は、絵画に宿る物語性やイメージのビジョンに頼らず、描く行為を前景化した表現へと変化し、「絵画でしか表すことのできない世界」への興味をさらに推し進めています。
3年ぶりとなる今回の個展のために制作されたトリプティックの最新作「Signals」では、宇宙空間あるいはネット空間を思わせる無限の空間のように広がる背景に置かれた座標を始点に、チカチカと明滅するような、独特の質感とリズムを湛えた絵の具の点とグリッドが集積し、複数のシナプスのようなかたちを形成しながら、あらゆる方向に線を巡らせ連関していき、二次元平面に四次元の時空を表出させています。
本作の制作過程において、坂本は、好んで用いているキャンバスのサイズが、自身が片手を上方に目一杯伸ばした時の身体の長さとちょうど同じ高さであることに気がつきます。それは必然めいた偶然であり、しかし全くの無秩序の中で歩を進めるための、自身の実感に基づいたひとつの「尺度」であると言えます。また、自宅のダイニングテーブルの上に小さな粒を撒き、その任意の座標を出発点に描き始めるという偶然性も取り入れています。
偶然性に身を委ね、不確かさを受け入れながらも、坂本自身のスケールを「尺度」として採用することで、自身の身体と感覚をつうじて実際に経験しているこの場所との関係に思いを巡らせ、因果だけでなく、事象による複雑なゆらぎまでをも、注意深く観察し拾い上げようと試みています。
地球温暖化、放射能汚染、地殻変動、宇宙、生物圏、人間社会など様々な要素が網の目のように複雑に関係し絡み合う現代において、人間の感覚だけではもはや知覚することができない、不確実性や偶然性の物事が溢れています。このような無限のネットワークのなかで、肯定や否定をするその前に在る因子を探ることは、複雑極まりない現状を読み解く手がかりになりはしないかと、坂本は問いかけているかのようです。
人間を、細胞と微生物とが高度に絡み合った集合的有機体と捉えるならば、日々刻々と変化する世界の状況のように、坂本の絵もまた、一筆ごとに変化する絵の具の単位の連なりというミクロからマクロへの相互関係を形成しているのです。
「迷いの尺度」のためのノート
〈尺度〉
194cmの高さの木枠にキャンバスを張ってみる。なんとなく好んで選びがちだったその規格サイズのキャンバスの高さは、身長153.5cmのわたしがめいっぱいに片手を伸ばしたときのからだの長さと、ほぼぴったり重なることに気がついた。
その必然めいているようで偶然な「器」の重なりを、ひとつの尺度にしてみる。外から強引に規定されているようで、自分の身体がそれと知らずに求めてもきた尺度。そこからいくつかの線や曲線をとりだしてみる。絵と、世界と、自分との距離を測りなおす、ありあわせの定規のようなものとして。
〈基準点〉
今度はサイコロをふるようなやりかたに委ねて、キャンバス上に複数のポイントを固定する。3次元の情報を2次元の座標に押し付けるようなイメージで。または2次元上の情報を3次元、4次元に押し広げてマッピングする意識で。
〈単位―シグナル〉
日々わたしのからだに付着するシグナル。でも、このからだが受けとってこぼさずに濾過できる情報の量は、器の大きさや材質に左右される。
いろんなメディアの情報も、人から受け取る言葉や温度も、知覚に作用する季節の知らせも、体内に入る見えない汚染された物質やからだにやさしい養分も、ちゃんと感知できたり、できなかったりする信号としてあふれ、忘れたり忘れられたりしながら、またあふれていく。
たくさんの信号は、わたしのからだと関係していたり関係していなかったりするところで、描く絵具の一粒一粒にも作用する。だから、色やかたちの振れ幅、硬さや乾きの変化を観察しやすい小さなドットの塗りを単位にして、日々受けとれるだけのシグナルを絵具の粒にしてみる。消化しきれないまま広がっていくシグナルたちの、星雲のような地図のようなログ。
〈航路〉
そのなかを迷い歩きながら、星座のような、航路のような、線を引いてみる。尺度から生まれた雲形定規を頼りに。星屑のように散らばるシグナルの配列のなかにさえ、人は見たい輪郭を見つけてしまう。確からしさの手がかりもなしに歩くことは困難すぎるから。でも、そういう見たいもの、見えてしまうものと同じ平面上には、見えていないもの、見ていなかったもの、見たこともないものがある。
2018年5月 - 2019年5月
坂本夏子
本展では、120号の大作のほか、約90点に及ぶドローイングおよび立体作品も展示いたします。また、本年7月上旬には、初の作品集が赤々舎より刊行予定です。こちらも是非ご期待ください。